義和団の乱で公使館街が包囲された際、籠城した外国人の中にモリソンがいた

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モリソンの親日反露報道を象徴する記事が、20世紀の初め、1901年1月3日にタイムズ紙に掲載された。「露清満州協定」という見出しのこの記事は「満州南部の重要都市、瀋陽をロシアが軍事占領し、行政をロシアの保護下に置くことに関する協定がロシアと清国の間で調印された。」との書き出しで始まり、協定の九条項を列挙している。ロシアによる満州保護領化へ向けた布石として調印されたこの協定は、モリソンによってすっぱ抜かれ、タイムズ紙のスクープ記事は世界をあっと言わせた。日本の抗議に遭い、結局ロシアは協定の破棄を迫られる。東アジア近現代史の中で、新聞のスクープ記事が政治外交に影響を与えた例の一つである。

モリソンがこのようなスクープ記事を出すことができたのは、ひとえにその人脈の豊かさに因る。北京のモリソン邸には、ジャーナリスト、外交官、官吏その他大勢の人々が、モリソンに情報を提供し、またモリソンから他では得られない情報を得ようと、ひっきりなしに訪問していたという。

モリソンを語る際に欠かせないのは1900年の義和団の乱である。中国社会へのキリスト教の浸透に反対する局地的な排外的運動として始まった義和団の乱は、6月に清朝が列強諸国に宣戦布告するに及び、清朝と列強諸国の戦争の性格を帯びるようになった。その中で、北京の公使館街が清朝軍に包囲され、多数の外国人が8月まで2ヵ月間籠城を余儀なくされるようになった。その中にモリソンがいたのである。この時、同じく籠城した日本人との間に友情が生まれたとも言われている。

モリソンはこの籠城の経験を記事にしてタイムズ紙に掲載した。10月13日と15日の「北京公使館街の包囲」という長文記事である。位置関係がわかるよう公使館街の平面図も掲載したこの記事は、籠城を実体験した特派員による記事という点で歴史的な価値を持つ。

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