明治三陸地震のタイムズ紙第一報は投書だった。その投書の主は・・・

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濃尾地震の五年後に明治三陸地震が発生した。1896年6月15日。地震だけでなくその津波の被害が、吉村昭のルポなどによって今に至るまで語り継がれている地震だ。この地震の第一報がタイムズ紙に掲載されたのは7月6日、二十一日後だ。濃尾地震の時はロイター電としてすでに二日後に報道していたタイムズ紙だが、今回は遅い。この遅れの原因は分らない。

しかも第一報は、新聞への投書である。投書は次のように言う。「電信によれば、6月17日に日本の東北の海岸で巨大な津波が発生し、2万7千人が犠牲になったとのことである。同じ日にヨーロッパで振動が記録された事実は確認できていないが、ヴィッチェンティー二教授の地震計が15日と16日にパドゥアでこの地震を震源とすると思われる地殻変動を記録することが出来た。日本からヨーロッパまで地殻の振動が伝わるのに約45分かかり、日本とイギリスの時差が9時間であるから、日本で地震が発生したのは6月15日の午後8時30分、16日の午前5時と午前9時と推定される。ここワイト島で最初に地震計が振れたのは日本時間6月15日午後8時である。保守作業で運用停止したため、翌日の振動の記録はない。」

投書の主はイギリス南部のワイト島のジョン・ミルン。ミルンは、明治九年に来日し、日本の地震学の礎を築くにあたり大いに功績のあった人物である。1887年1月7日の「日本の地震学」というタイムズ紙の記事でも、「過去11年のあいだにイギリスの有能な地質学者や鉱山技師が来日し、日本の地質学を高いレベルに上げるのに大いに貢献した。」と報じ、特にミルンの名前を挙げて、「日本地震学会の創設者にして中心人物」と紹介している。ミルンは日本人と結婚し、明治三陸地震の発生する前年、英国に帰国し、ワイト島に住んでいたのである。

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