日本は、ロシア人の眼を通じてイギリスに伝えられた

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十九世紀になると日本近海には外国船が来航し、鎖国体制下の日本の沿岸地域に緊張が走る。長崎にはイギリス軍艦フェートン号が、北方からはロシアのレザノフが相次いで来航した。また、蝦夷にはロシアのゴロヴニン率いるディアナ号が通商を求めるために来航したが、松前藩に拿捕され、ゴロヴニン他乗組員は抑留された。いわゆるゴロヴニン事件である。ゴロヴニンは、解放された後、この時の体験をロシアで『日本幽囚記』として刊行した。

ところでゴロヴニン事件の六年後、タイムズ紙に『日本幽囚記』を紹介する記事が掲載される。1817年12月23日の「日本」という記事だ。翌1818年1月22日には『日本幽囚記』からの抜粋が英訳されて掲載される。12月23日の記事は、「最近興味深い著作がペテルスブルク宮廷の認可を得て刊行された。ロシア軍艦の艦長によるこの著作は、二年以上に亘る日本での抑留の経験と観察を記録したものである。」という書き出しで始まり、これまでラ・ペルーズ、ブロートン、クルーゼンシュテルンらにより千島列島の調査探索が行なわれたが、いずれも不完全に終わったこと、ゴロヴニンの遠征により初めてこの地域の地理が明らかになったことにゴロヴニンの遠征の意義を見出している。そして、ゴロヴニンらが遠征に乗り出し、松前藩により抑留され、解放されるまでの経過を詳しく紹介している。

当時のイギリスの新聞は、外国の情報は外国紙など国外の情報源に依存するのが普通であり、ゴロヴニンの著作の紹介もその慣習に基づくものだった。この記事は、タイムズ紙に掲載された日本に関する記事の中では、実際に日本を訪問した人物の見聞に基づいた最も早い時期のものである。

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