幕末の遣米使節団、遣欧使節団に対してタイムズ紙は好奇の眼差しを注いだ

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開国後、諸外国と通商条約を締結した江戸幕府は、条約締結の事後処理のために、二回に亘り欧米に使節団を派遣した。1860年(万延元年)の遣米使節団と1862年(文久二年)の遣欧使節団である。両使節団には福沢諭吉が加わったことが知られていよう。タイムズ紙は遣米使節団については1860年6月2日に、「日本人はついに国際社会との交流に向けて一歩を踏み出した。」との書き出しで始まる記事の中で詳しく取り上げている。外見から所持品まで、日本人に対する好奇の眼差しが行間から見えてくるようだ。日本人については、外見は中国人と似ているが、中国人と間違えられると怒り出すこと、日本語と中国語との違いを強調すること、さらに中国より日本の歴史の方が古いと説いていることなど、日本人が中国人との相違を欧米人に印象付けようとしていることを記事が指摘しているのは、この先の歴史を念頭に置けば興味深い。

遣欧使節団の方はイギリスが訪問国の一つだったため、イギリス各紙は大きく取り上げた。中でもタイムズ紙の報道は、記事の数だけ見ても他紙を上回っていたと言われている。1862年4月4日を第一報として、4月7日、10日、11日、14日、15日、16日、22日、24日、28日、29日、5月2日、3日、6日、8日、9日、12日、14日、15日、16日、17日、19日、20日、21日、26日、28日、29日、30日、31日、6月3日、9日、11日、13日、14日と、4月上旬から6月中旬にかけて、ほぼ2日に1回の割合で報じている。さらに、使節団の行程を辿ると、フランス経由でイギリスに到着したのが4月30日、イギリスを離れオランダに向かうのが6月12日である。タイムズ紙は使節団がイギリスに到着する前、フランスに滞在していた頃から、その動向を紹介していたのだ。関心の高さが伺える。

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