北京特派員ジョージ・アーネスト・モリソン

Permalink to 北京特派員ジョージ・アーネスト・モリソン

明治維新後近代国家としての歩みを始めた日本は、富国強兵政策の下、国力を増強していった。日清戦争で勝ちを収めると、列強の一国として大陸の権益を巡る争いに積極的に参加していった。日清戦争で獲得した遼東半島を独仏露の三国干渉で放棄した後、朝鮮半島及び満州の権益を巡ってロシアとの対立が表面化し、遂に日露戦争に至り、辛くもロシアに勝ち、講和会議に持ち込んだことはよく知られているだろう。また、世界最大の陸軍国ロシアとの戦争に踏み込むことができたのも、日露戦争の二年前にはイギリスと同盟を結び、世界各地でロシアと対峙していたイギリスの後押しを受けていたから、ということも良く知られているだろう。

それでも、イギリスが日本と同盟を結び、日露戦争に際して日本の後押しをするに至った歴史にタイムズ紙が果たした寄与については、どれだけ知られているだろうか。19世紀末から20世紀初頭にかけてのタイムズ紙の親日的報道については、一人の特派員の果たした役割が大きい。ジョージ・アーネスト・モリソン。オーストラリア出身のモリソンはイギリスで医学を学んだが、元々ジャーナリストになる夢を抱いていた。旅行家でもあり、世界各地を旅行し、紀行文を新聞等に発表していた。出版した旅行記がタイムズ紙の記者に注目され、タイムズ紙北京特派員の職を得たのが1897年、日清戦争の二年後のことだ。以後、モリソンは北京にあって、義和団の乱、日英同盟、日露戦争と続く世紀転換期の激動の東アジアに関する記事をロンドンに送り続けた。幾多のスクープを含むその記事は、モリソンしか知りえない情報源に基づくものが多く、タイムズ紙の東アジア報道は一頭地を抜いていた。

勿論、モリソン及びタイムズ紙の報道はイギリスの国益に基づいていたわけだが、この時期のタイムズ紙は国益に忠実な新聞という受動的な立場にあったのではなく、特派員が時に外交官の役割を演じ、新聞が世論を動かしながら、国の政策を一定の方向に導いていた。タイムズ紙を「日英同盟のゴッドファーザー」と呼んだ同時代人もいたほどだ。

tThe Times 物語一覧へ戻る