タイムズ紙もたまには躓いた

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第一回ロンドン万国博覧会は1851年5月1日開幕した。開幕した場所は、当初の予定通りハイドパークだった。タイムズ紙の反対にも関わらず、ハイドパーク会場案は最後まで覆ることがなかった。イギリス第一の新聞と自他ともに認め、政治家から恐れられ、政府を動かすほどの力を持っていたタイムズ紙も、この時ばかりは負けたようである。翌日5月2日の社説で万博開幕を取り上げている。「昨日目撃した光景はかつて経験したことがなく、将来再び眼にすることがないような空前絶後のものだった。」で始まる文章は、世界各国から数多くの技術の粋が集められている壮観さ、これらを収容するパビリオンの大聖堂を凌ぐ大きさに驚きの声を発し、巨大な建築物も、多数の来場者も、多数の展示物も、準備した人々の労苦なしに可能でなかったと、企画立案し開幕に漕ぎ着けた主催者に敬意を表し、次のように結んでいる。

「最も過小評価しても本博覧会は、異なる地域や異なる国民の工業品や生産物から学ぶことができる機会である。教育に携わる者だけでなく、知識を得たいと希望する者は誰でも、単に読んだり聞いたりするだけではだめだということを知っている。耳は知識を受け入れるのが遅く、失うのが早い。眼は理解が早く、見たものは眼に長く焼きつく。博覧会場では、他のものがなくても、大量の標本をこれらに関する手引きともども眼にすることができる。あらゆる自然と工芸の産物が我々の閲覧に供されるよう、ここに持ち込まれ、20エーカーの会場エリアは、さながら世界の縮図である。産業と社会の地理を学習する機会としてだけ見ても、計り知れない価値を持っている。だが、この種の知識に関して、大人が子供に劣らず欠落しているのはよくあることだ。それゆえ、あらゆる世代の人々は、ハイドパークで学ぶことが自分のためになると理解するに違いない。」

あれほどハイドパークでの開催に反対していたのが嘘のような豹変ぶりである。浮浪者と悪臭のただよう喧騒の場所になるはずだと言っていたハイドパークが産業と社会の地理を学習する場に高められている。だが、この宗旨替えは、おそらくは世論の動向を見据えた上でのものだったに違いない。第一回ロンドン博が開かれた頃、タイムズ紙は政治と社会に大きな影響を及ぼし二百数十年の歴史の中で絶頂期を迎えていた。万博会場を巡る一件は、その時にあっても、タイムズ紙が世論の動向を見失うことがあった興味深い事例と言えよう。

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