ゴードン将軍の近くにいて、スーダンで命を落としたタイムズ紙特派員

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ゴードン将軍と言えば、ヴィクトリア朝のイギリスで大衆的人気を博した軍人である。その人気の高さは、中国の太平天国の乱を鎮圧した軍功もさることながら、アフリカのスーダンでの悲劇的最期も大いに与っているだろう。

イギリスの実質的支配下にあったエジプトでは、1880年代に反英運動が起こった。南部のスーダンでは自らをマフディー(救世主)と名乗るイスラーム教徒の一派がイギリスに聖戦を仕掛けた。時のイギリス首相グラッドストーンは、帝国主義的侵略に反対する自由主義者であり、当初この反英闘争に対してスーダン放棄の方針で応じようとし、撤退の指揮に当たらせるためにゴードンを現地に派遣した。ところが、ゴードンは反乱軍に包囲され、世論の声に押されて派遣された救援軍がついに到着した。だが、救援軍到着の二日前にゴードンは反乱軍に殺害されていた。

エジプト人部隊を率いるゴードンがスーダンのハルツームで反乱軍と対峙していた時、ゴードンの元には二人のイギリス人しかいなかった。一人は部下のステュワート中佐、もう一人はタイムズ紙特派員のフランク・パワーだ。パワーはゴードンの信任厚く、特派員の身分でありながらハルツーム領事の任務も委ねられた。反乱軍と対峙する中で、パワーは前線の状況をタイムズ社に送り続けた。最初は電信で送っていたが、反乱軍に通信を切断されると、使者を別の土地に送り、そこからロンドンに電信で送るよう手配したと言う。ゴードン軍が窮地に陥り、救援軍を求めていることがイギリスに伝わったのも、タイムズ紙に掲載されたパワーのメッセージが最初だった。パワーのメッセージは救援軍派遣の世論を盛り上げるのに大いに貢献したようだ。明らかにパワーは、「従軍記者の父」ウィリアム・ラッセルに始まるタイムズ紙従軍報道の精神を継承していたと言えるだろう。

パワーは、窮地を打開するためにステュワート中佐とともにハルツーム脱出を試みた。だが、二人とも反乱軍に殺害されてしまった。ゴードンがハルツームで死ぬ四ヶ月前のことだ。

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