綿織物を巡るインドとイギリス

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エコノミストが創刊された頃、イギリスでは産業革命が終わり、工業国家として離陸し、大英帝国の繁栄を享受し始めていた。この時代のリーディング産業は何だったかというと、綿織物工業である。イギリスの織物工業と言えば、伝統的には毛織物工業(羊毛工業)が栄えていた。だが、インド産の安価な綿布(キャリコ)が輸入され、肌触りや吸湿性が良く、染色し易く、そして何より安価であるため、イギリス人の衣料生活を変えたと言われるまでにブームとなった。ところが、キャリコに押されて伝統的な毛織物が売れなくなると、手織物工業に従事する人々は、政府を動かして輸入キャリコに高い関税を課し、自分たちの産業を守ろうとした。これは、エコノミストが創刊される百五十年ほど前の話である。外国の、それもアジアの産業から自国の産業を守るために高い関税を課すとは、エコノミスト創刊の頃のイギリスから見れば、別の国のようである。

だが、いくら高い関税を課しても、外国の綿織物に対するイギリス国内の需要は減少しなかった。そこで、イギリス人が考えたのは、外国から輸入するのではなく、自分の国で作れば良いではないか、ということだ。品質にも優れ、安価な綿織物を大量に作る、ということを。こうして、綿織物のための様々な機械が発明された。ジェニー紡績機、水力紡績機、ミュール紡績機、力織機・・・。イギリスの産業革命とは、当時の先進的なインドの綿織物への依存を克服したいというイギリス人の悲願から生まれたのである。自国の綿織物工業が軌道に乗ると、今度は綿花の安定的供給を考えなければならない。イギリスは産業革命の時代に、インドを綿製品の生産地から自国綿工業のための綿花の独占的供給地に変えるために、相当な荒療治をインド国内で行なったと言われている。その結果、インドの紡績は壊滅的な打撃を受けることになった。

創刊当初のエコノミストには、インドと綿花をめぐる記事が多い。その中で、1847年には「なぜインドは我々に綿花を供給しないのか?」という社説を実に五回に亘り、掲載している。国内の紡績業を存立させるためにもインドからの綿花の供給を確保しなければならない、というのがこの記事の論調だ。綿織物をめぐるイギリスとインドの歴史を知った上でこの記事を読むと、歴史の冷厳さということを感じないわけにはいかない。

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