エコノミストから浮かび上がる19世紀綿花の歴史

Permalink to エコノミストから浮かび上がる19世紀綿花の歴史

エコノミスト創刊当時、綿花の最大の供給地はアメリカだった。綿花が栽培されたのは、アメリカ南部のプランテーションである。プランテーションで労働していたのは、奴隷だ。この奴隷制をめぐってアメリカ国内を二分する議論が沸き起こった。奴隷制の廃止を求める北部諸州と奴隷制の存続を求める南部諸州だ。奴隷制の廃止を主張するリンカーンが大統領に就任するに及び、対立は決定的になり、南部諸州は合衆国から分離、南北の間で内戦が勃発した。南北戦争である。

ところで、イギリスは南北戦争では奴隷制を維持しようとする南部を支持した。その理由は、南部がイギリスの貿易にとって重要な綿花供給地だったからだ。南北戦争の各陣営の貿易政策は、工業地帯の北部が保護貿易を志向したのに対して、南部は自由貿易を志向した。当時のアメリカの工業はまだ発展途上にあったから、イギリスをはじめとする先進国との競争を回避するため、保護貿易を志向したのである。それに対して、綿花の輸出を通じてイギリスとの繋がりが強い南部はイギリスと同じく自由貿易を志向したというわけである。

ところが、南北戦争が進むと、南部からのイギリスへの綿花の輸出が北部の妨害により激減し、イギリスを大きな混乱に陥れた。これが「綿花飢饉(Cotton Famine)」である。エコノミストは1862年4月12日号に「綿花飢饉:その事実と効果(The Cotton Famine: Its Facts and Its Effects)」という記事を掲載し、事実経過と今後の見通しについて分析を加えている。この記事によれば、イギリスの綿花消費量の三分の二から四分の三がアメリカからの輸入であったというから、影響の大きさが推し量られる。

南北戦争は、よく知られている通り、北部の勝利に終わり、奴隷解放宣言により奴隷は公式に解放された。イギリスの綿花の主要な輸入元も、南北戦争を契機にアメリカからインドへと移行し、インド綿がイギリス綿製品の原料として供給されるようになる。南北戦争をめぐる自由貿易と保護貿易の対立、南北戦争を分岐点とする綿花供給地の移動といった十九世紀の重要な経済史上の出来事が、エコノミストを通じて浮かび上がってくるのである。

tThe Economist 物語一覧へ戻る

短縮URLを共有する:

*短縮URL[たんしゅくユーアールエル]

とは、長い文字列のURLを短くしたものである。リダイレクトを利用して本来の長いURLに接続する。 例えば、 http://ja.wikipedia.org/wiki/短縮URL のページは、Google URL Shortenerを利用した場合、 http://goo.gl/OCZXl と短縮できる。また「p.tl」ならば、さらに短縮され http://p.tl/aIAn となる。

*Wikipedia